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罪悪感を感じるパクチー収穫

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西山んちにはパクチーの鉢植えが二つあります。今年は結構イイ感じに葉を茂らせてくれました。

でも残念ながら生物には種の保存本能がございます。パクチーが、

「そろそろ次の世代にバトンを渡そう」

と思ったかどうかは知りませんが、ついに花を咲かせてしまいました。
正確にはつぼみ。でもほっておくと花が咲きます。
で、咲いたらすぐ種になります。すると、

「よし、俺の時代は終わった」

と思うかどうかは知りませんが、とにかく種ができ始めると葉の勢いは失われ、みるみるうちに枯れていくのです。

それはこまる。
西山みたいに葉っぱの部分にほぼ用のある人間にとって、それは困る。
というわけで、つぼみらしきものが発生すると片っ端から摘み取ります。
まだまだ。まだだよ。花なんか咲かれちゃ商売あがったりだ。
なんだか吉原とか江戸時代の遊郭の、底意地悪くて銭勘定に汚い女衒とか遊郭の主人のようだ。
せっかくできた花、種をさっさと積んじゃうことに、なんか罪悪感をいつも感じるのですわ。

トマトにトマトーンというホルモン剤を振りかけたり。ゴーヤの雄花を引きちぎって来て雌花にむりやり受粉したり。
花を咲かすこと、実を成らすこと、西山みたいなエセ農家風ガーデナーは常に植物たちのセクシーな事情と背中合わせです。
ごめんね。でももうちょっとだけ独身パワーで頑張って。

摘んだパクチーのつぼみは蒸した鶏むね肉と一緒にあえてナンプラーかけていただきました。
美味しかったです。
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